「公文書は民主主義の根幹」?ボストン市庁舎を見た後に岸田首相の公文書関係の答弁をみて思ったこと

みなさん、こんにちは!
ニュースを見ていまして、公文書の不祥事の関係で、「公文書は民主主義の根幹」という答弁を岸田首相がしていました。
また、そのためにデジタル化を進める、という話もありました。

デジタル化というと、まず公文書をデジタル化していこう、という動きはどこでも始まっていると思います。
うちの県でも、文書はどんどんシステムに残していこうということになっています。
しかし、その理由はちゃんと職員に対して説明されていません。
デジタル化は働き方改革の時短という話にも良く出てくるので、公文書のデジタル化も働き方改革の一環という側面でだけ受け取っている職員も多いと思います。
それもあって、文書をシステムに登録したりするのは手間なことから、職員の理解が得られていないという感じです。
この点については以前もちょっと触れました。

 

takeaway.hatenablog.jp

 

さて、公文書のデジタル化の意味は本来働き方改革など関係なくて、首相のいうとおり、「公文書は民主主義の根幹」なので、より正確に、恒久的に残すためにデジタル化するというのが100点満点の回答でしょう。
全くその通りなのですが、この「公文書は民主主義の根幹」という意味をわれわれ日本人がちゃんと理解しているかというとちょっと心配です。

というのも、また映画「ボストン市庁舎」や「ニューヨーク公共図書館」の話になります。
特に「ニューヨーク公共図書館」の方に描かれるのですが、過去の文書や資料を残しておこうという取り組みの熱心さが尋常ではありません。
膨大な手間をかけて、過去の資料を一つづつ手作業でデジタル資料にしていく場面があります。

また、ボストン市庁舎の中でも、ボストンの歴史資料を複数のスタッフがデジタルアーカイブにしていきます。
その理由として、担当者が「手間がかかるけども、それによって市民の方が情報にアクセスしやすくなるから」とこともなげにさも当然のようにいっていたのが印象的でした。

この、いわゆるアーカイブとして、とにかくすべての情報を残しておこうという考え方は、ちょっと概念的にわれわれ日本人には理解しがたいところがあるのかな、と思います。
記録を永続的に補完するためのアーキビストという職種というか概念も日本ではまったく一般的ではありません。

ボストン市庁舎の中でも公文書館は民主主義にとってもっとも大切な施設の一つといった表現がでてきたように記憶しています。
情報を残しておく、ということの理由の一つには、民主主義においてそれぞれの市民が最良の判断をするため、というのもあるのかもしれません。

西洋の理性への信頼とか、そのあたりが大元なのか、私もまだよくわからないのでアーキビスト関係の本など読んでいきたいと思っています。
余談になりますが、そうはいっても、こういった部分は体感的にはどうしても理解できない文化の差かもしれないな、と思ったりもします。
評論家の小林秀雄が、どこかの対談でギリシャなどの西洋の考え方はどれだけ本を読んだりしても本質的にはどこか我々にはわからない、というような気がしているといったことを述べていたと思います。
「ボストン市庁舎」や「ニューヨーク公共図書館」などをみていると、民主主義の理想的な姿だな、とは思うのですが、日本との彼我の違いの根本的な違いはいったいどこに行きつくのだろうと考えてしまいます。

ちょっとまとまりのない話になりましたが、「公文書は民主主義の根幹」ときれいごとを言うのは簡単だけど、その意味を理解しようとすると結構深く考えないといけないのでは、という話でした。

それでは、スーパー公務員によろしく!