母親の罪悪感”マミーギルト”記事に感じる違和感 「子どもを犠牲にしている」と感じるのは”呪文”なのか

みなさん、こんにちは!
2022年2月21日の日経新聞に「マミーギルト」という聞きなれない言葉が特集されていました。
日経新聞では月曜日に働く女性のための1面をつくっています。

 

マミーギルトって?

マミーギルトとは、次のようなことを指すそうです。

 


・マミーギルトとは、母親が子供や家庭に抱く罪悪感
・コロナで保育所が休園となり、在宅勤務をしながら家で子どもをみながら仕事をする中で増加傾向
・具体的には、在宅勤務中に子どもを突き放してしまう、動画ばかり見せてしまうことや、仕事で夕食などをつくれないことを悪いとおもってしまうなど

コロナで増えた

これに対して、日経新聞は、つぎのように分析しています。
・これまで母親は保育園や学童保育に子どもを預け、仕事に集中できる環境を整えてきた。
・しかし、コロナでその利用が制限される中、こどもの健康管理も行わなければならず、仕事と家庭の両立が困難
・背景には大正時代の育児書から続く、母親が面倒を見るべきという意識のすりこみがある。
・これに対して、「ご飯を作りたくない日は吉野家でかまへん!」と呼びかける女性雑誌などもあり。
・「良い妻、良い母と誰かからの見た立場だけで人生が終わる時代は終わった」との専門家の分析
・夫に「そんなのかまへん」といってもらうと気が軽くなる
・女性の離職相談では、「子どもを犠牲にしている」という「呪文」をいう母親が多い

とのことです。

私の場合

自分もこれは大変反省します。
活発な小さい子がTVをみせると何十分も釘付けになってしまうのをみると、TVは極力消した方がいいと思ったりしますが、母親側に言わせると、その間に家事をしたりで便利とのこと。
これもTVをみせてはいけないというマミーギルトを植え付けることになってしまうので、「TVみせたってかまへん」くらいの夫でいた方がいいのでしょう。

また、母親の苦労については父親側は何もいえないので、このマミーギルトということについても男性側は「そのとおりなんだろうな」としかいえません。

マミーギルトは呪文?

ただひとつ、この記事の中で違和感があるのが、「子どもを犠牲にしている」という感じているのはすべて「感じる必要のないマミーギルト、呪文ですよ、呪いですよ、気にする必要がありませんよ」というかたちで片づけていることについてです。

仕事と家庭の両立のはざまで、本来感じる必要のないマミーギルトを感じていらっしゃって苦しんでいるお母さんについては記事のとおり、「そんなのかまへん」と思って楽になってもらうということ以上にないのだと思います。

ただ、本当は働かないでこどもと一緒にいたいのに、働かざるを得ずにそのはざまでマミーギルトに苦しんでいる人についてはこの記事では何も触れられていないように思います。

言い換えてしまうと、女性が働くもの、という前提で書かれているということです。

女性は絶対に働くべき?

この記事は女性は子どもの面倒をみること、という呪縛から逃れてマミーギルトから逃れるべき、という書き方になっていますが、逆にみると、「女性も絶対に働くべき」というあらたな呪縛が生まれているように見えます。

逆に専業主婦キルトを作っていないか?

働く女性のマミーギルトがあるのであれば、「働かないでこどもの面倒だけ見て楽だね」と言われる「専業主婦ギルト」のようなものもあると思います。

この記事は、「自分が幸せになれる方法を主体的に考えるべきだ」と締めくくられていますが、働かないで専業主婦をしたい女性は専業主婦でもいいではないか、という感じは読み取れません。

たしか、「みんなのための資本論」という映画の中でやっていたと思いますが、女性活躍などというと聞こえがいいものの、結局労働力が足りないのと、男性の所得が上がらないために女性も働かざるを得なくなっていった、ということが言われていたと思います。

働きたい女性にどんどん働いていただき、社会もそのための環境を整備するのはそれはそれで非常に必要だと思います。

しかし一方で、この記事のように、「皆女性は働きたいのに両立できないことに困っている」というような前提に立ち、「本当は家庭で子どもの面倒をみていたい女性が働かざるを得なくなっている」という問題を看過させるような見方はよくないな、と思います。

日経新聞の記事は面白いのですが、やはり経済というだけあって人間を人材としてしか見ていないというか、そういうところがあるのに気を付けないとなと思います。

それでは、スーパー公務員によろしく!