地方移住,後悔しないために 地方創生で移住者のためのまちづくりができない理由

みなさん、こんにちは。
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2020年12月3日 日本経済新聞「経済教室 私見/卓見 地方移住,後悔しないために」という記事をきら星代表の伊藤綾さんという方が寄稿されていました。

記事概要
湯沢市で移住相談を受けているが,仕事や移住に関する問い合わせが多く,暮らす環境についての問い合わせは少ない。
・行政は移住手当金の支給などより移住者の暮らしをどう良くするかということにもっと力を入れるべき。
・暮らしやすいまちづくりが進めばシビックプライドが回復する。

自分も県庁所在地から地方の賃貸に転居し,地方で家を購入するか迷っている身ですが,その地方の生活環境になじむことができるかは非常に重要です。
テレワークでの地方移住が進んでいると言われていますが,もし本当であれば,これまで地方移住の最大のネックであった「地方には仕事が無い」という問題点を解消してしまっているので,あとは暮らしやすい環境かどうかだけが焦点となります。

この暮らしやすさは記事でもあげられているように,スーパーや病院の近さ,産婦人科などの子育て環境などがあります。
しかし,それ以上に重要になってくるのは,もっと大きな「地方の生活様式」に対応できるかということです。
これは一回住んでみないことには絶対にわからないものかと思います。
私自身,地方でまず賃貸で暮らしてみてやっとその地方のことがわかってきました。


一例が,車社会です。
地方では歩行者のことは想定されずにまちづくりされていると感じます。
都市部ではきれいな歩道があるべきスペースに天板の無い大きな側溝がぽっかり口を開けています。
街頭もまばらです。

例えば,スーパーが近くだといっても,そのスーパーまでベビーカーを引いていくのが不可能ではないにしろ,ちょっと危険だなと感じるような状況を想像してもらえばいいでしょうか。この,ちょっと不便という小さいストレスが積み重なると,わざわざ田舎に住む必要があるのかということになってしまいます。

歩行者優先のまちづくりのように,都会からの移住者いアピールするために必要なポイントというのは確実にあります。
しかし,問題なのは,当の地方に住む人々は,今のままで特に不便は感じていないということです。
この例で言えば,みな車で生活しているため,歩行者にやさしいまちづくりをしようという問題提起を行う住民はいません。

このため,住民不在で行政だけが,国から言われた地方創生での移住者増の施策のアイデア出しに汗をかいているという苦しい状況になっています。

結局の所,移住者にも配慮したまちづくりをしていくのか,今の住民だけよければよいまちづくりをして人口減して行政サービスは縮小していってもよいのかについて,住民に対して意識が無く,なんとなく廃れていっている状況なのでしょう。

記事の中でシビックプライドという言葉がでてきますが,住民はこうした行政のまちづくりにも受け身であるため,はじめからプライドもなにもないのでしょう。
今後も,地方の中でも市民が成熟した政令市などが魅力的なまちづくりを行い,この「テレワークでの移住者」を獲得していく流れになって,他の地方はその恩恵を受けられないままになるかと思います。

それでは、スーパー公務員によろしく!

インバウンドの罠 田舎に来てくれる海外富裕層という幻想

みなさん、こんにちは。

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地方でのインバウンド事業では,「田舎に来てくれる海外富裕層がいる」ということが1つの事業実施理由になっているようですが,本当にそうでしょうか。


インバウンド事業をやっていると,次の様なことをよく聞かされます。

「大量に団体客を連れてくればいいという量だけのインバウンドの時代は終わりました。
これからは質の時代になります。
アジアから物見遊山の団体旅行客相手であればどうしても東京・大阪といった有名な観光地が有利になります。

でも,今後は2度目,3度目訪日の,旅行者を狙っていくべきです。
特に,欧米からの旅行者は超富裕層です。

これらの欧米の方々はバカンスがあって,長期滞在する旅行の仕方をします。
有名な観光地は飽きてしまった人たちなので,地方での体験を求めています。
地方のインバウンドはこれからなんですよ。」

地方ではこうした甘言を頼りに,「長期滞在する富裕層」に向けて必死にデジタル広告を出したり,商品造成をするといった自治体も多いのではないでしょうか。


確かに,日本とは異なり,休暇が長い国もあるため,気に入った宿に長期滞在する外国人の方もおり,そうした方々にも対応できる価格設定が高い宿が日本にはまだまだ少ないというのはその通りかと思います。

ちょっと余談になりますが,海外のホテルに泊まると,有料サービスが驚くほどたくさんあります。このような状態が富裕層のニーズにも対応しているという状態です。

石ノ森章太郎先生の「HOTEL」でよく見かける話のパターンは,お客様のどんな要望でも,ホテルがなんとか提供するというものです

その一方で,なんでもかんでも心遣いでやってあげるのがサービスでは無く,サービスしたらその対価をもらうのが本当のホテルのサービスであるという話も出てきます。
自分で釣ってきた魚をただでさばくようレストランで要求するなど,「サービス」でホテルがなんでもやってくれるものだと考えている常連の建設会社の社長に対し,ホテルマネージャーが「もらった対価に対してサービスするのがホテルの仕事」と,詳細な請求書を突きつける話です。

 

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ホテルは客からお金をもらった分しかサービスをしない。
逆に考えれば,客がお金を払ってサービスを受けたいのであれば,お金を提示されてもそれに応じるサービスを提供できないホテルは,せっかくのビジネスチャンスを失っているともいえるでしょう。


さて,長期滞在する外国人対象としたマーケティングも「あり」ではあるのでしょう。
しかし,予算を使ってまでこの「マーケティング」を実施して効果のある自治体は全国にどれほどあるでしょうか。

これに限ったことではありませんが,自治体がマーケティングのまねごとをするとろくなことにはならないように思います。

自治体はなにか思いつきでマーケティングのまねごとを行っても全くリスクがありません。
「長期滞在する外国人のインバウンド需要」
という市場が確かにあるとしても,それが自らの自治体にとって有効であるかどうか,分析して事業をはじめるということはまずありません。
特に考えることもなく,コンサルやインバウンド関連の雑誌などで騒がれている甘い話を信じて事業化してしまいます。


ここで,「どうなるか分からないから小さい事業から始めてみよう」という発想があれば,かなり健全な方です。
しかし,実際には,何の見込みが無くても「予算があるから」「国の交付金が入っているから」という理由で,はじめから数千万円の事業でスタートしてしまいます。


民間企業では,何の見込みも無いまま,プロジェクトに数千万円がつぎ込まれるということはありえないでしょう。
イノベーションを行うための研究開発を行う余裕のある景気のいい民間企業なら別かもしれませんが,自治体の財政はそのような状況にありません。

「そういう計画だから」ということで,ただただ愚直に事業実施してみるのは,どちらかというと計画経済に似ているかもしれません。

以上のように,「やってみよう」という簡単なイメージ,思いつきで数千万の事業をつくってしまえるのが地方創生やインバウンドのいわゆる「前向きな」事業の問題点です。
 

 これからは「民間企業のようなマーケティングの考え方をもったスーパー公務員が必要だ」というような話がよく言われますが,「長期滞在する富裕層向けのインバウンド」などに目を付けたくらいでマーケティングをやった気になっている中途半端な先進意識が無駄な事業を量産してしまうと危惧します。

 

それでは、スーパー公務員によろしく!

 

 

【閑話休題】地方移住論とインバウンドに共通する無責任さとは~『教育格差』(ちくま親書)感想~

みなさん、こんにちは!

 

『教育格差』(ちくま親書)松岡亮二 著 を最近夢中で読んでいます。
いたずらに格差を大きくみせることもなくデータを淡々とならべています。

 

 


親の大卒割合と通塾率,地方による習い事の数の差など,子供の教育を考える親であれば当然目をとめてしまうテーマが並び,厚い本ですがすらすらと読み進められます。

 

田舎の出身なので,都会の常識に自分の頭がついていっていなかったなと思い知らされる部分が多いです。

 


三大都市圏ほど,通塾率,習い事への参加率が高いというデータがでてきます。
私が育った地域では,塾はあくまで学校の勉強について行けないときに補助的にいくもので,自力で勉強できる週間がある方がよりよいという認識がありました。

また,習い事についても,みんな趣味でやっているもの位の認識しかありませんでした。

 

 

ただ,社会教育学の面で見ると,塾を利用できる子供は,学校以外のサポート機関の利用機会を有するということで,経済的事情から塾を利用できない子より有利な立場となるそうです。
また,習い事についても,大人から指示を受けて行動をする訓練となり,学校教育にもなじみやすく,また,大人とコミュニケーションする機会が多くなるため,こちらも習い事がに通えると言うことが有利な立場になりうるとのこと。

 

さらに,同書では,三大都市圏と非三大都市圏の比較から,教育の地方格差も克明に示しています。


さすがにこのデータをみると,県庁所在地の県庁に勤務できるのであれば,田舎に住まずに県庁所在で子供を育てた方がいい気になってきます。

 

 

ここで,ふと思ったのは,昨今のコロナを受けてよく聞くようになった『地方移住ブーム』についてです。

私の県の市町村でも,ここぞとばかりにどこも声高に地方移住を唱えていますが,メリットばかりでデメリットについては全く伏せられていないでしょうか。

 

 

実際に県内のある市の移住WEBページを見てみると,「子育て」のページは各種助成などが大都市より充実し,たしかに幼児期ののびのび子育てには向いているようです。

しかし,「教育」のページになると,「○○教育推進都市宣言をしている」といったお題目だけがならべられ,都市部と同様の教育水準を維持できるような情報は見当たりません。

 

 

今後ITの導入などで教育の質が全国均一化していけば地方の教育デメリットはなくなっていくというのが政府の論法かもしれません。

一方で,『教育格差』では,両親大卒の世帯が地域に占める割合によって,どこまでの教育を求めるのが当たり前かという地域性がつくられていて,そういった指標から学力の地域格差が確認されるということも言われています。

 

地域に住んでいる「人」が地域全体の教育環境と関係があることを考えると,デジタル化により見かけ上の均等なチャンスが与えられたからと言って,教育の地域間格差がすぐさまなくなっていくものではないと思います。

 

 

こうした問題を考えると,自治体の側は移住者を増やしたいのは分かりますが,都会暮らしの方が本当に移住して安心な環境が整備されている訳でもないのに理想郷のようなイメージをつくってPRばかりしているのは少し無責任にも思えます。

 

どちらかといえば,必死な自治体側より,この流れに乗って『地方移住』をはやし立てるコンサル,不動産業者,メディア等が移住者のその後のことなどに何の責任も持たず,いい気なものだなと思えます。

 

自治体の話に戻ると,万全ではないものを整備する前にひたすらPRばかりしてしまうというのはインバウンドに似ているなと思います。

 


東京,大阪,京都,北海道などの既に外国人からみて魅力的な観光地がどんどんPRして世界の観光地と戦っていこうというのはわかります。

一方で,たいした観光スポットもない県がまず外国人に魅力的に映る観光地があるのか,または受入体制があるのかといった検討もなしに,とにかく今ある観光地は知られていないだけだからという論理のもと,ひたすらPRを繰り返すのは順番を間違えています。

 


まったく空っぽのものをきれいな写真や動画で魅力的な観光地のように装って売りつけているようなもので,だましているような気さえします。

 

移住促進にせよ,インバウンドにせよ,成功する自治体は自分の都合でPRばかりするのではなく,冷静に地域の状況を分析し,顧客目線で考えることができる自治体なのだと思います。

 


その際に今回の教育のような不利な条件がある場合は,うやむやにするのではなく,子育て世代は誘致対象からはずして単身者を狙うなど,あくまで冷静な戦略が必要になるのかもしれません。

 

それでは、スーパー公務員によろしく!

インバウンド事業費が大手企業に食い物にされる理由

みなさん、こんにちは。

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都道府県という単位でインバウンド事業を行うのは最適ではないということを前回の記事で述べました。

 

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「○○県」を海外からの旅行客にPRするといった,そもそもの目的がおかしいため,都道府県のインバウンド担当はどんな事業を行ったらよいか大変悩みます。


イデアがない場合は役所お得意の前例踏襲となります。

 

『そうか,君は課長になったのか』などの仕事本で有名な佐々木常夫さんの書籍に「プーアなイノベーションより優れたイミテーションを」という言葉があります。

地方創生やインバウンドに関して安易な前例踏襲のイミテーションの場合は、多くの自治体が行う似たり寄ったりの事業を生み出し,何の効果もなく終わってしまう「プーアなイミテーション」になってしまいます。

 

 

役所が何の案も持たない場合にとる便利な方法はプロポーザル・コンペなどの企画提案の募集です。

 

インバウンドですと,「アジア市場への○○県の認知度向上」といった「こうなったらいいな」という理想だけで埋められた仕様書で事業者を募り,コンペが行われます。

 

各県の企画提案の落札事業者を見ますと,交通系,広告代理店,航空会社,大手旅行代理店などのそうそうたる大企業やその企画系の子会社が事業を受託しています。

それらの大企業が,「○○県の認知度向上」のためにどんな事業を行うかというと,ほとんどが,自らの社が独自に行っている日本への誘客キャンペーンの延長でしかありません。


つまり,県の事業を受託しようが,しまいがもともとその社で海外からの誘客のために行っている大規模キャンペーンで作成しているWEB広告や雑誌などのコンテンツに少し○○県のことを載せたりするだけといったケースが多く見られます。

 

インバウンド関係の事業は1,000万円を超えることも多くあり,巨額の税金が大企業がもともと行っている事業の片手間の仕事に吸収されてしまっています。


県からの委託事業を請け負ってその1,000万円程度予算で個別に専門のプロジェクトが行われることはまずありません。

 

どちらかと言えば補助金や負担金を渡してPRしてもらっているという方が実態に近いのではないでしょうか。

しかし,これがもし委託ではなく補助金ということになれば,県のPRのために県外の大企業の補助をする合理性がなく,まず認められないはずです。

 

 

この県レベルでのインバウンド事業というのは,こうした大手代理店等に地方の税金を流し込むのがそもそもの裏の目的なのかと疑ってしまいたくなるほど意味の分からない状況です。


「世界にPRするなら予算もある程度大きくなるから大手企業で」ということで,在京の大手企業ばかり受託していますが,地元の配水の陣で経営している旅行代理店などに1,000万円を委託して地元に旅行客が来るように何か自由にやってみてもらった方がよっぽど可能性はあるのではないでしょうか。

 

コロナ前まで日本へのインバウンド客は増加傾向にあったため,県内への外国人観光客数などをKPIとする県のインバウンド施策は,本当は何も効果がなくても効果があったように便乗できたことも隠れ蓑になりました。

 

ほとんどの都道府県で,数年にわたり行われたPR系のインバウンド事業が丸ごとなかったとしても,現状は何も変わらなかったでしょう。


インバウンドにしろ,何にしろ,「都道府県は何かやらなければならない」という意識をまずなくしていかなければならないと思います。

 

それでは、スーパー公務員によろしく!

「わが県限定」のインバウンド事業が税金の無駄にしかならない理由

みなさん、こんにちは。

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前回の記事で各自治体がインバウンドで競い合う無駄について少し触れました。

 

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その中でも、特にさしたる強みもない県が行うインバウンド事業はあまりに非効率で効果が見えず,税金の無駄にしかならないので一刻もはやくやめた方がいいです。

 

 

その一番の理由は,「都道府県」というレベルで事業を行うメリットが何もないからです。

 

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1.「○○県」ゴリ押し事業になってしまいがち

 

県の事業であるため,県内の人気観光地だけをもっと有名にしていこうという事業はできません。


「TOKYO」のように,とにかく「○○○○(県名ローマ字表記大文字)」をクールな地名として海外に発信していこうということが目的になってしまいがちです。

 


県名がブランドとして海外に浸透すれば,「TOKYO」を目指して来日するように,名前聞いたことのわが県を目指して観光客が来日するはずだというとんでもない考えが事業の存在理由になっています。

 

 

しかし,誰でも分かるように,海外旅行をする場合,旅行客が見ているのは「サグラダファミリア」や「カッパドキアの洞窟での宿泊体験」といったそれぞれのコンテンツであって,その体験ができる行政区のWEBページを先に検索して訪れるということはまずありません。
それぞれの観光コンテンツがどの行政区にあるかといったことは,観光客にとって何の意味もありません。


その意味のない行政区名を,ただ発信すればブランディングになるという誤った考えのもと,何千万円もかけて発信し続けているインバウンド事業は相当多いでしょう。

 

2.「○○県」訪問以外の行程が見えなくなってしまいがち

 

外国人観光客が,わが県の地方空港を目指して訪れ,県内の観光地だけを回って帰って行くという都合のいい話は,まずありません。

 

その県だけで長期滞在が可能な北海道や沖縄などくらいでしょう。

必ず東京,大阪,福岡などの大都市から入り,滞在期間が長ければ地方も何カ所か立ち寄るかもしれないといった程度で,知名度の低い県に訪れることはまれです。

 


そういった観光客の動き,どこから来てどこへ行くのかを考慮せずにわが県の観光スポットばかり必死にPRしても,どのような流れの中で訪れるのかイメージできていません。

 

旅行会社なども,知名度の低い県だけで完結する旅行商品はつくりません。

民間からみれば当然そうなるのですが,わが県のことだけしか考えないインバウンド事業ではひたすら県内の観光地をPRすることに注力してしまいます。

 

 

3.総花的PRになってしまいがち

県内にぬきんでた知名度の観光スポットがあっても,それだけを取り上げるわけにはいかず,まったく魅力のない観光スポットも含め,玉石混淆でPRすることとなってしまいがちです。
これはインバウンドに限らず,県が行う商業振興関係,観光関係全般にいえることです。


インバウンドではデジタル技術の進展のせいで,特にひどいことになっていると感じます。

 

インバウンドでのWEB等でのプロモーションでは,大手広告代理店などに委託し,プロのデザイナー,カメラマンが県内観光スポットの取材をします。

どんなに魅力のない観光地でも「映える」写真や動画がとれてしまい,一級の観光スポットとみまちがう程です。

かっこいいWEBページやパンフレットができると,それだけで自治体や担当者はなにかやった気になってしまいます。

 

総花的な紹介をせざるを得ないのは,自治体が行うので公平性が大事ということからですが,海外の観光地と戦う上では,何の役にも立ちません。

 

 

とにかく,こういったマーケティング関係は,民間が行うべきであって,機動的な動きができない役所は関わるべきではありません。

インバウンド事業を行う事業主体の単位として、「都道府県」という行政規模に何の適切性もなく,「都道府県でインバウンドを行う」という出発点からして間違っていると思います。

それでは、スーパー公務員によろしく!

フルセット行政と地方創生~『この国のたたみ方』佐々木信夫著 感想~

みなさん、こんにちは。

 

『この国のたたみ方』佐々木信夫著 新潮社を読んでいます。

 

 

人口減社会では現在の47都道府県体制は高コストで,卸売業者でしかない県庁は道州制組み替えてしまった方がいいという意見で,そのとおりだなと思いながら読んでいます。

 

この中で,都道府県の無駄として,フルセット行政ということがいわれていました。


「おらがまちにも」という意識のもと,どの都道府県にも港湾,空港が整備されている。
また,図書館や博物館なども,市町村が整備していても,都道府県も同様のものを必ず整備する。
商工振興施策なども都道府県が市町村とは別に独自で行う。
都道府県が自らだけで100%の機能を持とうとすることから,このような無駄が生まれているとのことです。

 

 

これを読んで思い出されたのが,昨今の地方創生の取組です。

 


地方創生で全国の自治体が行う似たり寄ったりの移住促進,販路開拓,インバウンド誘致の事業も,いってみればフルセット行政の1メニューといえるかもしれません。
それぞれの施策が,本当に自らの県に必要かを考えず,他県もやっている取組はとりあえずやってみる。

 

特に,販路開拓やインバウンド誘致などは,「県」単位で行う必要は全くありません。
消費者にとって○○県ということが意味のない中で,○○県の産品,○○県の観光地だけを対象としたPR事業を行うことは,まったくナンセンスです。

例えば,インバウドでは○○県と県内の○○市がそれぞれ別個にインバウンド向けPR事業を行っているという全く非効率な状況です。
観光客にとっては○○県や○○市ということは何の意味も無いことはインバウンド担当者なら誰でも気づいています。

 

また,うちの県でインバウンドをやっても観光地として魅力ある他県と同様に成功するはずがないという場合でも,首長や議員から○○県としてインバウンド事業をなんとしてでもやらなければならないという声があるため,やむなく事業を行っている状況です。

 

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さらに良くないのは,都道府県のこうした地方創生事業が,市町村の事業を食ってしまっている可能性があるということです。
都道府県の方が,一般的に採択される地方創生事業の作り方を知っています。
その結果,どうしても都道府県の事業の採択数が多くなり,市町村の採択数が少なくなってしまいます。
都道府県の行う地方創生の事業は,市町村が行う場合に比べて薄いものになってしまいがちです。

 

 

地方創生事業については,基礎自治体である市町村が工夫を凝らした事業を行うべきで,都道府県はしゃしゃりでない方がよいと思います。
都道府県の地方創生担当者はあまりがんばりすぎない方が,県全体のためにはなるかもしれません。

 

それでは、スーパー公務員によろしく!

新聞記事感想~先進事例との正しい接し方とは~

みなさん、こんにちは。

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日本経済新聞11月24日記事opinion 「外の人」が導く地域の革新

 

 

要約
岐阜県高山市は訪日観光客の恩恵が大きかったため,コロナで打撃を受けている。
・IT分野人材を育てるために,高山市に住みながらIT人材として働くための取組を推進
・観光事業についても,飛騨高山ブランドを高めるため,インバウンド,アウトバウンド,アウターブランディング,インナーブランディングに分けて戦略的に考える
・今後の観光戦略には企業経営の視点が必要
・コロナを機に地方は街の魅力を見直しできるはず

 

 

私自身まだインバウンドが過熱する前に飛騨高山には2回行ったことがあります。

また行きたいと思える大変雰囲気のよい観光地だった記憶があります。
外国人受けする日本的な風景で,インバウンド客が押し寄せたのも当然でしょう。

 

 

高山市の人口を調べてみると8万6千人,歳出予算は474億円程度とのこと。
非常に有名な地域ですが,自治体としての規模はあまり大きくないようです。

 

 

今回記事で取り上げられた,IT人材を地域に根付かせるための取組は,記事だけ見ると非常によい取組に思えますが,自治体が行う「事業」というものを知っていると,本当にそうなのだろうかと少しうがった見方をしてしまいます。

 


三木清小林秀雄との対談の中で,「人は自分のことが新聞に載っていと嘘ばかり書いていると分かっているのに,それ以外のことは本当のことだと思って読んでしまう」といったことを述べています。
本当にその通りで,自治体の行った先進事業を紹介するタイプの記事は,斜に構えて読んでしまいます。

 


例えば,今回の記事も,IT人材を地方で育成するためのプロジェクトがはじまった,というだけです。
これが成功するかどうかは数年後にならなければ分からないのに,いかにも素晴らしい事例のように取り上げられるのに違和感があります。
新たな取り組みがニュースになるのは別にいいのですが,自治体が税金をつかって行う以上,その結果どうなったかというチェックが行われるべきです。

 


しかし,事業が取り上げられるのは華々しく発表されるときだけで,それが結果どうなったかが報じられることはまれです。

 


自分が関係する事業でも,企業とのマッチングイベントを行い,その後,成立案件はありませんでした。
マッチング当日の様子は地元の各局で報じられましたが,その後どうなったかを取材する記者はいません。

 

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また,自治体の方でも,イベント実施の際にはプレスリリースしますが,その後事業がどうなったかの成果をプレスリリースする動きはまずありません。
決算審査,行政評価,監査といったチェック機能はありますが,マスメディアと違って市民が関心を持つものではないでしょう。

 

 

こうした事業の報道は,いかにもよい取組事例のように報じられることで,事業を行う自治体に「やっている」感を与えてしまいます。
また,他の自治体からも先進事例のように捉えられ,安易に似た事業が全国で行われることにもなってしまいがちです。

 

 

こうした弊害があるため,自治体職員はメディアで報じられる先進事例は一歩下がった冷静な目で見た方がいいでしょう。


担当レベルであれば,実現可能性や効果などが分かっているので容易に先進事例に飛びつかないと思いますが,新聞ばかり見ている課長などがひっかかりやすく厄介です。

 

 

記事の最後の「地域の数だけ磨くべき魅力がある」とのご指摘のとおり,わがまちと他のまちは抱える問題が異なります。
安易に聞こえのよい先進事例をまねてしまわないよう注意したいものです。

 

それでは、スーパー公務員によろしく!

都市につまみ食いされる地方~日本経済新聞2020年11月24日朝刊記事感想~

みなさん、こんにちは。

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2020年11月24日の日本経済新聞朝刊記事,「働き方innovation 一つの仕事で満足ですか② 都市と地方,デュアルに「相思相愛」ネットが縁結ぶ」の感想です。

 


記事要約。
・製薬会社の社員が副業として北海道の木材加工の企業の取締役を務める。
・仕事後にPR戦略会議などをネットで実施。
・副業経験は本業にも生きる。
・地方としても人材不足の解消に。
・意見募集したところ,地方で働いたり暮らしたりしたい人が増えている。
・都会・田舎の枠にとらわれず,都会8割,地方2割などの新しい働き方も考えられる。
以上

 

 

今回の記事からは,都市部の大企業は都市も田舎も関係なく市場としてしか見ていないというという当たり前のことが分かります。


今回の記事は,ビジネスの始め方が,これまで一般的では無かった企業に就職しながらの副業という形であるというだけで,「田舎でもビジネス案件があったため,都会に住みながら田舎でビジネスを始める人がいる。」というだけのことです。


企業から見れば都市も田舎も関係なく市場で有り,田舎でビジネスが成立するのであれば,新規にビジネスしてみるし,見込みが無ければ引き上げていくだけでしょう。

 

記事では地方と都市部の人の関わりが促進されるといった取り上げ方をされていますが,あくまでビジネスがあっての関係性であるということに注意しなければなりません。

 


地方の自治体は地方創生の施策を競って考えていますが,結局の所地方でビジネスが成立するのかという観点でしか市場は見ていないということでしょう。

今回特集された,都市部に住みながら地方でも副業ができる人材は,都市部だけの生活から一歩進んだ,仕事の場が都市部だけに限定されない新しいエリートのホワイトカラー労働者と言えるかもしれません。

 

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IT等の分野では既に場所を選ばない働き方が進んでいますが,それ以外のホワイトカラー労働者は,高い所得を得るためには,いくらでも都市部で働く必要がありました。

そこから一歩進んで,副業という形で,都市部に限らず地方もつまみ食いして働くことができるようになった人たちがでてきています。

 

経済活動の結果,こういった新しい働き方ができる人たちがでてきたことについて,特にいいも悪いもないのですが,地方創生を担当する自治体職員としては,こういった動きに安易に飛びつかないよう注意したいところです。

 

 

こうした都市部の副業人材が地方の救世主であるかのようにみなし,よく考えずに誘致促進事業や補助などを始めてしまうのが地方創生事業の悪いところです。

 

 

地方に住む人間として,うがった見方をしてみましょう。

地方の住民は地方に住むしかありませんが,これら地方で副業をする都市部の人たちは,うまくいかなければすぐに都会に帰ってしまうのではないでしょうか。

 

都会にかえる場所がある人たちを信用しきってしまって地域の未来を預けてしまうのは,余りに考えなしです。

「東京8割,地方2割」など,あまりに都合が良すぎます。拠点は便利な都市部にありながら,地方をたまにつまみ食いするのですから,楽しいはずです。

「地域の人に魅せられ」などといっていますが,実際に住み始める,または関わる期間が長くなれば,閉鎖的な人間関係にげんなりして都会に逃げ帰りたくなるでしょう。

 

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自治体が考えなければならないのは,その土地で生業をもち,根を張って暮らす人たちの生活です。

この副業の流れで少しでも地方にお金が流れるのであれば悪いことではありませんが,やはりつまみ食いされているに過ぎないということを冷静に認識すべきです。

それを分かった上でただつまみ食いされるだけではなく,いくらでも都市部から人とお金を吸い上げるにはどうするか,したたかいるべきです。層で無ければ,つまみ食いするだけつまみ食いされて,ビジネスがうまくいかなくなれば都市部の人はすっと都会に逃げ帰ってしまい,何も変わらない地方が残されるだけです。

 

日経新聞の記事は都心部に住む記者の方が書いているのでしょうが,「人の心はきれいだけど遅れた地方に都市部が何かを施す」という意識を背景に感じます。


多分悪気があるわけでは無く,都会の人から見た地方はそんなもので,途上国にボランティアに行くような気持ちで地方のためになにかしたいと思ってくれているのは確かなのでしょう。
ただそれは,本当の地方を知らないからこその意識だと思います。

 

 

その意味でも,都会なくして地方の課題解決ができないとしても,その担い手にならなければならないのはあくまで地方に骨を埋める住民であり,地方公務員もその一員として,都会からのおいしい話任せの地方創生ではなく,解決できるのは自分たちしかいないという危機感をもって地方創生にあたらなければならないと思うのです。

それでは、スーパー公務員によろしく!

都市部で仕事をしながらわざわざ田舎に住むのが不安な理由

みなさん、こんにちは。

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県庁所在地(ここでは政令市をイメージしてします)に住めるのは,地方の中でもエリートである。

 

県庁所在地から離れた中途半端な地方都市に住んでいると,そう言ってしまって過言ではないと感じます。

 

日本国憲法では,居住地選択の自由がうたわれていますが,どこに住むかは自分がどこでお金を稼いでいるかということと関係無しに考えられません。

居住地に関係なくお金を得る手段を持っている人は,住む場所を選ばず,都市部にも,自然豊かなど田舎にも住めます。

しかし,その他大多数の労働者は職場の近くに居住せざるをえません。

 

田舎暮らしに興味のある都市部の労働者は,田舎に越してきて生活するためには,田舎で生業を得る必要があります。

同じく,田舎暮らしの労働者が都市部に暮らすためには,都市部で仕事を得なければなりません。

 

 

多くの場合,これは難しいです。

田舎には,都市部からの移住者の生業を支える職がありません。

また,都市部には,田舎からの労働者のための仕事がありません。

あったとしても,より労働力として廉価な外国人労働者を活用する流れとなっています。

 

地方への都市部からの移住促進のためには,現実的には地方でも都市部と同じく仕事ができる,テレワーク可能な企業の労働者やフリーランスのIT人材を呼び込むのでなければ,地方に就業可能な仕事をつくらなければなりません。

 

また,逆に,田舎暮らしを脱出したい若者は,都市部でホワイトカラーの職を得ることができるような教育を受けなければなりません。

 

こう考えて自分が住む地域を見てみると,同じ地方の中でも,県庁所在地に住めるのはそこで職を得ることができるだけの一部の人たちだけで,それ以外の地域に住む人々は,今後も今の地域に住み続けるしかできないだろうと感じます。

 

各家庭の経済的レベル,あるいは教育レベルによって,居住地は決められてしまっているようです。

 

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これはあくまで地方で暮らしている実感です。

 

人口減が進み,外国人材を受け入れるといっても足りない労働力を都市部が地方から吸い上げていく動きは今後あるでしょうが,それは都市での貧困層を増加させるだけで,都市で当たり前に生活できる水準の市民,いわば都市のエリートが増加することにはならないでしょう。

 

都市,地方に限らず,貧困層が増えていくのでしょうが,都市で貧困層が増えて地方が豊かになると言うことはなく,現在地方暮らしの人は都市で貧困層になるか,現在の地方で貧困層のままということになるかもしれません。

 

自分の子供に所得の高い職業に就いてもらいたいと考えるのであれば,都市に暮らせる者はいくらでも都市に暮らすべきと言えるでしょう。

 


例外的に地方に暮らせるのは,仕事の場所にとらわれず所得を確保でき,経済的な視点とは別に地方暮らしに魅力を見いだせる一部の本当のエリート層だけです。

 

田舎が衰退するしかない状況を考えると,県庁所在地に仕事をもつホワイトカラーがわざわざ地方に住むメリットはほぼ感じません。


同じ地方の中であっても,所得の高い層は県庁所在地に集まり,その他の地域には所得の低い層が残されて,この格差が固定されています。


仮に私のような県庁所在地に職を持つホワイトカラーが県庁所在地以外の地方に住むためには,「田舎暮らしでもいいか」と思える考えの変化か,あきらめのようなものがなければならないでしょう。


最大の要因は教育面への不安,田舎に暮らしていて自分の子供に(経済的に)豊かな未来があるのかという不安であると思いますが,どうでしょうか。

 

田舎に住んでいると都会と比べて機会が少ない,というこの実感こそが,格差が生じていることの一番の証拠かもしれません。

 

それでは、スーパー公務員によろしく!

県庁所在地に暮らせるのに田舎暮らしを選んだたった一つのメリット

みなさん、こんにちは。

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都会の方がイメージする地方はひとくくりのイメージかもしれません。

しかし,地方と一口にいっても,政令市である県庁所在地などの暮らしと,中小規模の市での暮らし,郡部での暮らしは大きく異なります。

田舎者である自分自身,都会というイメージでひとくくりに都会の暮らしをイメージしてしまっているのと同じかもしれません。

 

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地方創生を考えるときは,この多様な地方像,そこに暮らす多様な人々を具体的にイメージする必要があるでしょう。

 

 

例えば,私自身は中小規模の市で賃貸暮らしをしながら,県庁所在地でオフィスワークの仕事をする30代の子育て中男性というケースです。

子育てを機に県庁所在地から移住してきましたが,自分自身が今後このまま今の地方都市に住み続ける選択をすることができるかということが,現代人が都市と地方のどちらを選択するか,地方での生活に魅力があるのかということを考える一つのモデルケースになると考えています

 

 

そもそも,ケース1である自分自身が何をメリットに,県庁所在地に賃貸暮らしもできる身で有りながら地方に暮らしているのか。

地方暮らしを選択した最大の要因としては,子育てする上での実家との近さです。

 

現在の地方都市は,私,妻の実家から車で30分程度に位置し,こどももまだ小さいため,妻のワンオペ育児となるよりは,実家からそれぞれの両親が遊びにきたり,また,遊びに行ったりを気軽にできた方が,育児の負担軽減になるのではないかとの判断からです。

 

県庁所在地からお互いの実家までは高速で1時間程度かかり,近い方かもしれませんが,あまり手軽ではありません。

いってみれば,人的なつながりを県庁所在地の利便性より重視したかたちです。

 

しかし,子供の今後の教育などを考えると,やはり県庁所在地の方がという不安がつきまとい,家の購入までは踏み切れていません。

 

 

自分自身が便利な県庁所在地暮らしを超える田舎暮らしのメリットを何か見いだせるか。

 

それが今後,地方暮らしに希望があるのかをうらなう一つのケースになるかと考えています。

 

それでは、スーパー公務員によろしく!

都会の人から見えにくい「中途半端な地方都市」の存在~俵万智さんのコラム感想~

みなさん、こんにちは。

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先日,日本経済新聞俵万智さんの地方暮らしについてのコラムが掲載されていました。

地方暮らしと対比される東京暮らしの魅力は「ゴージャス」でつまみ食いできること。その一方で地方暮らしの魅力は住んでみないと味わうができないと書いてらっしゃいました。

俵さんは現在宮崎県の島にお住まい。

地域の方との味噌造りなど地方暮らしの良さを感じていらっしゃるとのことです。

 

また,都会の方が心配に思う田舎暮らしの人間関係のわずらわしさについても,セーフティネットとして働き,子供を地域で見守ってくれるメリットともとれるとのこと。

 

俵さんのプロフィールを拝見すると,生まれは東京とのこと。

ご自身もコラムの中で触れていらっしゃいますが,執筆の仕事なので,場所は選ばず,田舎に暮らすことができているとのこと。

 

[感想]

俵さんのように教養ある都会出身の方に選ばれる田舎暮らしとは,自然と共同体の残る,いわば古きよき日本のような暮らしができる地域なのだなと思いました。

「都会にあるものはないけれど,その代わり田舎にしかないものがある田舎」とも言えるかもしれません。

 

万一地方創生の移住政策で都会から人を呼び込んで成功する可能性のあるケースがあるとすれば,こういった魅力を発信できる地域に,不便でも田舎暮らしをしたい都会の人が暮らす場合だけでしょう。

 

一方で,何の特徴も無い地方都市は都会の方の目には映りません。

似たり寄ったりのロードサイド店が国道沿いに並ぶ。

特に豊かな自然はない。

地域の人のつながりが大してあるわけでもない。

いわば,「都会にあるものがない」だけの,不便なだけの田舎です。

 

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なんと名付けてよいのか,人口数千~数万人の,このタイプの田舎は,俵さんのコラムでイメージされるところの「田舎暮らし」ができる田舎ではないでしょう。

都会の方が想像する理想の田舎暮らしのイメージからは全く外れてしまっています。

 

どうも,地方創生の移住政策で「地方」が語られるとき,イメージされるのはある程度の都市機能をもつ政令市や,はたまた今回のコラムの様な本当のど田舎であり,中途半端な地方都市は議論の対象にもなっていないようです。

 

こういった中途半端な地方都市の実態が,都会の人から見えなくなっている,またはイメージできなくなっていることが,大きな盲点になっているような不安を覚えます。

 

それでは、スーパー公務員によろしく!

地方創生の落とし穴 ヨソモノが成功しても地元には関係ない理由

みなさん、こんにちは。

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よく,ヨソモノが地方創生を成功させるといわれますが,その成功事例はヨソモノの行った事業が,都会の人には受けているが,地域の人には何も関係がない,という場合は多々あります。
単にヨソモノがビジネスを田舎で成功させただけの事例を,地域の課題解決がなされたと勘違いしてしまってはいけません。

例えば,地方創生の成功事例では,ヨソモノにこれまで地元になかったおしゃれなスポットを作ってもらい,地域の賑わいの中心として,魅力を高めて移住者を集めようという狙いのものがあります。
都会の方に受けが良いようなカフェなどを作る動きを支援したり,そういったことを地域で始めたい移住者を積極的に支援する事業となります。

仮に,この政策がうまくいくと,地域にどのようなことが起きるでしょうか。いわゆる,ヒト・カネ・モノが流れ込んで地域が活性化するでしょうか。
結論としては,この政策がうまくいって,おしゃれなこうしたスポットに都会から人が集まるようになっても,地方にもとからあった課題の解決は全く進展しません。
こういった政策で移住者が増える,地域に稼ぎ口が増えるということそもそも期待できませんが,仮によっぽど成功したとしても,もとからのコミュニティーとは分断された,ヨソモノ移住者のコミュニティーが新たにできるだけです。

 

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先日,ある町におしゃれなジャズ喫茶に行く機会がありました。退職したご夫婦が趣味で始めたお店とのことです。水辺の小高い丘の上にあり,交通の便がいいとはお世辞にも言えませんが,駐車場は県外ナンバーの高級車で満杯です。メニューのサンドイッチはおいしかったですが,価格はいわゆる「東京価格」でした。
あとでその町出身のご年配の方にそのお店のことを話すと,地元の人はあんなとこにはいかないよ,とのことでした。
田舎にある,都会の方向けのおしゃれなスポットの典型的な事例です。

こういった,田舎のロハスなカフェや雑貨屋などは,いわば一部の「意識の高い」都会の人々には受けるのでしょうが,地元住民には全く相手にされません。
地元住民には昔ながらの味噌ラーメンがある町中華や大盛から激安な揚げ定食が看板面ニューの食堂などが支持されています。

都会の方向けのおしゃれなお店が地方にあること自体は非常に喜ばしいことなのですが,地方創生の取り組みでこういったお店を核として都会向けにPRしていけば地域の活性化・課題解決につながると考えるのは間違いです。

ジャズ喫茶の例で見たように,ヨソモノ嫌いの地方では,都会向けのスポットと,そこから発生するコミュニティーは往々にして快く受け入れてもらえません。やはり,田舎者の都会の方へのひがみのような感情は相当なものがあります。また,お店の方も,自然環境としてのこの地域,この土地は好きだけど,住民は考え方が古くて好きではないとばかりに,頑として地元コミュニティーになじもうとしないケースもあるでしょう。

せっかく都会の方が移住してはじめたおしゃれスポットが成功しても,地元のコミュニティーと分断されていれば,もとからのコミュニティーが内在する問題は,まったく解決されません。
よっぽど成功して触発された都会からの移住者が増えても,移住者のコミュニティーが形成されてしまい,自治体としては税収が若干増えるだけでしょうが,そこまで成功すること自体まれです。

このように,田舎のコミュニティ・ムラ社会は特殊です。外から,特に都会からの何かを田舎に持ち込むだけでは,現在の地域の問題を解決する処方箋にはなかなかなりえないものだと思います。
今地域に暮らす住民に受け入れられることなく,何かお金を生む装置を地域に外付けできるような,おいしい話はないということでしょう。
田舎のひがみ・妬み・ヨソモノ嫌いも地域特性です。これを考慮に入れずに地方創生事業を考えると,絶対に失敗します。

 

それでは、スーパー公務員によろしく!

自然豊かなわが町をPRして移住が増える?地方創生の移住促進成功事例の落とし穴とは?

みなさん、こんにちは。

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地方創生の移住政策の成功例では,田舎に移住して自然派の田舎暮らしというイメージを全面に押し出したものがみられます。

 

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このイメージが都会暮らしにつかれた人々を引きつけて,移住者増につながったという事例です。
ここで全面的に押し出しているイメージは,都会と完全に対極の,なにもないけど精神的充足があるかのようなユートピアのような田舎のイメージです。

しかし,このイメージ戦略で引き付けることができる人々は,どんな人たちでしょうか。
言い換えれば,どんな人たちを顧客として,移住勧誘のマーケティングをやっているのでしょうか。

結論から言ってしまうと,このイメージ戦略が響くのは,多くは移住後も田舎に生業を持たなくても次のような生活できる人たちです。
・資産を豊富に持っている退職夫婦
・資産家の御子息で趣味でカフェや雑貨販売などを行っても生活できる自然派な考えをもつ若者

こういった方々が一時的にでも自分たちの住む田舎に住んでいただけるのは大変ありがたいことです。

 

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しかし,長期的に地域が存続していく,お金が回る仕組みを作るという地方創生の目的から見た場合はどうでしょうか。

資産家はその地域でなければカフェなどの商売ができない訳ではありません。地方の他の住民とは違い,仕事で土地に縛られていません。
ちょっとでも飽きてしまったり,別の地域に興味がでれば,出て行ってしまうかもしれません。
また,田舎暮らしにあこがれた退職後の老夫婦はすぐに介護・医療が必要となり,医療等が充実した都会に戻っていくかもしれません。

一方で,本当に地方が欲しい働き盛りの子育て世代が移住してくるということは,よっぽど田舎が好きな方でなければ,考えられません。
子育て世代であれば,田舎で都会並みの教育水準が確保されるかという不安が払しょくされなければならないからです。
高学歴共働きの,収入の大きな世帯ほど,教育への関心は高いです。
自然の中での子育てメリットが教育環境の充実を上回ると考える人たちしか,わざわざ自分の子供を田舎で育てたいとは思いません。
私自身,田舎での生活は,都会の生活にはないすばらしさもあると思っていますが,教育レベルの格差は子育ての上で非常に不安です。

 

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こうしてみてみると,わざわざ不便な田舎に移住するのは,仕事や教育の不安がなく,住む場所を選択できる非常に一部の方々です。
こういった方々は確実に存在していますし,コロナの関係で少し増えていくのかもしれませんが,ごく一部です。
また,選べる立場にいるため,例えば自然環境のみを移住地域の選定基準にしているのであれば,より,環境のよい地域が選ばれるのは当然です。
中途半端な地域では選ばれません。

地方創生の移住政策を行うのは,こういった非常に限られた方々の取り合いであるということです。
わが町はその競争で本当に勝ち目はあるのでしょうか?

 

それでは、スーパー公務員によろしく!

閑話休題 田舎者の地方創生担当者のもやもや

みなさん、こんにちは。

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もうこれは感情的な話になってしまうのですが,地域が衰退するしかないからといって,それを商品として売ってしまい,気に入ってもらえば住んでもらい,商品価値がなくなれば手放して良いというのは,これまでその地域で暮らすしかなかった人々を,全く尊重していない虫のよい話ではないかとの感がぬぐえません。地方移住の成功事例なども,「どうせあなたたちはうまくいかなかったら都会にかえればいいだけだろう,気まぐれで,本気じゃないんでしょ」との不信感をもってしまいます。

私自身も田舎出身なので,こういう考えがよそ者嫌いの田舎者根性なのでしょうが,地方創生の名のもとに行われるイベントなどへ地域に住んでいる方から注がれる視線は,事実このように冷めものだと思います。
地方にはあきらめが漂っているから地方の住民に任せても何も生まれないとよく言われます。
だから,地方創生で東京からの活力を導入して地方の魅力を再発見するということになるのですが,地方の方から言えば,何も地元に何のアイディアがないからあきらめているわけでもないのです。
都会の人間がちょっと来たところでどうにもならないことは自分たちが住んでいてもう十分すぎるくらいわかっていることです。
地方にはマイルドヤンキーしかいないと言われますが,今の地方の環境を認識して,自分たちが楽しめる範囲でよっぽどたくましく地方で暮らしています。

こうした現実を分かっていると,本庁で県庁所在地在住の職員が地方創生の論理に疑いも持たずに,東京のコンサルなどと楽しくイベントを作っている様子を見ると,「地方の現状を何も知らないくせに。余計なことはするな。地方創生などという夢物語より,現実を直視して,もっと別の仕事をした方がいい。」と非常にもやもやします。

 

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選挙で選ばれる自治体の首長がいて,行政が行われているので,いつの時代も住民に夢をもたせることが必要なのはわかりますが,もう今の地方はそんなことをしている余裕もないところまできているのではないでしょうか。

 

それでは、スーパー公務員によろしく!

 

 

地方創生が大成功!でもあなたが思う理想の「賑わいあるまち」はもう戻らない?(2)

みなさん、こんにちは。

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前回の続きです。

 

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絵に描いたような地方創生の成功事例で地域にはどんどんお金が落ちます。これは,地域に何が起きたのでしょうか。

一言で言えば,この地域で生産される価値を丸ごと商品化し,資本主義のマーケットに乗せることができた,ということでしょう。
いままでは何も価値を生み出すことのできなかった地域の資源がお金で買える商品になって大きなマーケットにでていったため,都会の方々や海外の方々にもお金でお求めいただけるようになった,ということです。
これまでただの○○村であった土地が,「○○村」という商品として価値を持つようになったとも言えるでしょう。
地方創生で「○○魅力発信事業」「○○ブランディング事業」というものをよく見かけますが,最終的に目指すのは,その情報発信とブランディングの結果,地域が商品として価値を持つことだといえます。

経済的な観点だけ考えれば,元々の住民は新しい稼ぎ口が増え,自治体の税収も増えるため,大成功と言えるでしょう。地方創生が目指すのはまさしくこの姿です。

地方に住むだれもが,自分の住む地域が活性化して欲しいと思っているかと思いますが,その思い描く姿は,果たしてこのような姿でしょうか。
同じく,自治体職員も,地域にお金が落ちるためには,もはや商品化するしかないと冷静に割り切って,地方創生事業を行っているでしょうか。

我々が実現したいのは,実はそうではなく,今は郷愁の彼方にある,高度経済成長時代の賑やかな駅前のイメージではないでしょうか。

都市部からの地元住民と感覚の違う富裕層の移住が増えれば,どうしても地元住民との溝は生じます。いわば,「よそもの」が増えても,誰かが地域に住んでいればそれでいいとまで割り切って地域の存続を考えられるものでしょうか。
何も無くても静かなのが取り柄だったまちに観光客が押し寄せれば,観光産業が栄えるかもしれませんが,住民が維持したいと思っているその地域の米作りなどの生業が衰退する流れは結局止められないかもしれません。
仮に地方創生が成功したとしても,かつての高度経済成長期のような,みんな平等で希望があったにぎわいのある町の姿は取り戻すことはできません。


住民しかり,地方創生の担当者しかり,この過去の繁栄を取り戻すことが地方創生の地域の活性化であるという幻想を持ち続けてしまっているのではないでしょうか。
時代が変わっているのに,我々がもつ「賑わいあるまち」のイメージはサザエさんの時代で止まってしまっているようです。
しかし現実は,国の目指す地方創生の文脈で地域を「経済的に」豊かにしたいのであれば,地域が自らを切り売りしてまるごと資本主義のマーケットで戦い続けるという,一時も気の抜けない未来を覚悟しなければならないのです。

 

それでは、スーパー公務員によろしく!